Aの話 - 忘れ物をする小学生
忘れ物、落とし物、失くし物、片付けられない
約束すっぽかし、ダブルブッキング
計画性のなさ、よって出発前ばたばた、ゆえの遅刻
雑な字、誤脱字、簡単な計算問題の計算ミス、文章読み飛ばし
怪我する、ぶつける、人の話にすぐ入る、詰めが甘い……
"うっかりさん"に共通しているであろう、これらの行動の特徴。
ADHD(注意欠如多動性障害)のうちの注意欠如エピソードとして挙がりがち。多分。
もはや(最後の方なんか特に)自分以外がどうなのかよくわからないが……(自分は上記は全てが頻回にある)。
昔からよく母親に「注意力散漫」と言われてきた。母親にはあまり自覚はないようだが。
もちろん、ヒトケタ歳のときは意味はよくわかっていなかった。
はじめて「あ、これはまずい」とオンタイムで思ったのは、小学1年生の夏休み明け。
1学期は、帰宅したらランドセルを開ける、連絡帳を出す、ランドセルの蓋の裏の時間割を確認して教科書類を入れ替える、というのをやっていた。
おそらく母親に毎日言われて素直に従っていただけだと思う。
それが、夏休み明けから、教科書類や宿題の忘れ物をするようになった。
帰宅後ランドセルを置いたらすぐ遊びに出かけるようになったのだと思う。
「明日の準備をしてから遊びに行きなさい」と言われた記憶がある。
そして、素直に従わず、やらなかったり、やっても中途半端だったり、確認をよくしないで準備をしたりしていたのだろう。
遊びに行く前にやらないなら、遊びから帰ってきたらやればいい話、
とは、ならなかった。
人には多少の愚行権は許されると思うし、誰しも少なからず怠惰性を有していると思う。
しかし、生きていくなかで様々な経験をし、社会性を獲得し、優先順位をつけ、己を律することで、怠惰や愚行を抑えて"やるべきこと"をやるようになる
んだと思う。
「様々な経験」というのは、成功・失敗といった結果を伴ったり、
快・不快、好き・嫌い、恥ずかしい、羨ましい、不安、といった感情が乗ったりする。
単純な話、ポジティブな経験はまたしたい。ネガティブな経験は繰り返したくない。
褒められたい。怒られたくない。
教科書を手元に置いて書き込んだり読み込んだりしたい。隣の席のおともだちに見せてもらうのは申し訳ないし恥ずかしい。
宿題はきちんと取り組んで理解したいし提出して成果を認めてもらいたい。やり忘れて授業の進行から置いていかれたくないし持参忘れで提出できず先生に怒られたくないし「忘れたので明日持ってきます」と教室の最前でクラスメイト全員に見られながら先生に報告したくない。
嫌な気持ちになりたくないから、もう、忘れ物をしないぞ!
それはつまり、社会において
罪を犯すと罰せられる。罰せられたくない、罰さられていやだった、だから罪は犯さない!
と同じ構図。(拡大しすぎ?)
小学1年生の夏休み明け、忘れ物をしてもいい気分ではない、忘れ物したくない、と思った。
それからずっと、幾度となく、飽きるほど、
忘れ物をするのは良くないこと、困ること、いやなこと、と思った。思っていた。思い続けてきた、
のに。
何度も思い、思い続けて、中学生になった。
中学生になっても、変わらなかった。忘れ物をし続けていた。
思うだけでは変わらなかった。
「忘れ物をした、恥ずかしい」「怒られる、もういやだ」「なんでいつも失敗ばかり」「私はみんなよりだめだ」という負の感情は蓄積された。
負の感情を抱く度、なんとかしないとと思うが、次の日忘れ物をしている。
今なら、少しわかるかもしれない。
(今でも忘れ物は多いが……)
母親に「帰ったらまず明日の準備」と言われても改善しない、この事態への対応方法。
負の感情ばかり蓄積してしまう日々との、付き合い方。
つづく
はず