思っていても言ってはいけないこと
「思っていても言っちゃだめだよ」
「そう思うのは勝手だけど、言葉にすることで周りの人がどう思うか考えて」
「言っていいこと悪いことがあるよ」
って言うこと、言われること、思うこと、ありませんか。
私はよく言われるし、自分が思う側にまわることもままある。
だからこれは、言われて嫌だったことへの苦情であり、同時に自戒でもあることは承知してほしい。
「それ今言うなよ」「言わなきゃいいのに」ってことはある。
でも、言わないと伝わらないことばかりだし、言わないとその考えや主張そのものがなきものにはされやしないか。
思うのは勝手で、勝手な思いは表明したらだめなのか。
勝手な思いを押し付けるつもりもなく、ただ自分はそう思っていると言うことも否定されるのか。
それはコミュニティの円滑な運営を建前にした発言の統制ですか
と思うことがある。
それって検閲じゃないの。
迫害では。差別では。
発言や主張、表明という行動は受容してほしい。
否定はされてもいい、中身は。
世間が私の発言や思考を「否定する」という考えをもち表明することに、私は規制はかけられない。
納得がいかなければぶつかる。
面倒だったら押し黙る。
だからそのかわり、私の考えは主張する。
なぜなら、なかったことにされたくないから。
言わない方が生きやすいなら言わなければいいし、
言う方が楽になるなら言えばいい。
(TPOは選ばないと自分がしんどくなるかもしれないからそれは考えるとして)
「周りの人がどう思うか考えて」
じゃあ、それと同時に、
「こんなことを言うはめになった私の気持ちを考えて」
Aの話 - 気付かなければ始まらない
前回からつづく。
忘れ物は多いし、失くし物は多いし、大切な用事もすぐ忘れてしまう。
それでもなんとか高校生になり、大学生になった。
自己否定に苛まれて生きることを諦めるといったことをせず、
周囲から嫌われたり面倒がられたりしていたかもしれないけど、見放さないでくれる人たちに助けられながら。
いつまでたっても相変わらず、忘れ物をしていた。
いつの日だったか、再び「これはまずい」と思った。
小中学生のときの「恥ずかしい」「自分はだめだ」を、超える何かを感じたのかは記憶にないが、
忘れ物をこれだけする自分は他人とは明らかに異なる。これは困ったことなのだと、認識したのだった。
他人は自分を変えられない
母親に叱られ、先生に注意され、負の感情を蓄積させてきた。
なのに、改善には至らない。
自分で「これはまずい」と思い、課題だと認識したら、対策を考え行動に移せた。
私の場合、自分が困って、自分で直したいと思うことが大切だったのだ。
意識するだけでは変えられない
小学生のときから、「なんとかしたい」と思ってきたが、思うだけでは変わらなかった。
何が忘れる原因なのか。何をすれば忘れないのか。これを考えてこなかった。
今になってみれば当然だが、課題に対して原因分析をし、原因に対するアプローチを考え、行動変容を助ける仕組みをつくる、ことにした。
考え始めたのは高校生のときで、授業で使うプリント類を忘れたり失くしたりすることに対して講じた対策は一応成功したが、大学生になったら通用しなくなった。
だから大学生のときはまた別の仕組みを考えた。
トライ&エラー。
自分の特性を把握する
片付けられない。細かく分類して整頓できない。
自分のための片付けや整頓は面倒。
聞いた情報は正確に覚えていられない。
書いても書いた場所を忘れる、書いたことそのものを忘れる、書いたものを見ない。
数字は覚えられない。
色やイメージの記憶は保持されやすい。
そんなことを大学生のときに考え、対策してきた。
当たり前のことしか書いていないけど、自分で考えて自分で対策をしたことが、自分の負の感情の蓄積が少し崩れたのだった。
具体的な対策方法や考え方を次回紹介する予定。
Aの話 - 忘れ物をする小学生
忘れ物、落とし物、失くし物、片付けられない
約束すっぽかし、ダブルブッキング
計画性のなさ、よって出発前ばたばた、ゆえの遅刻
雑な字、誤脱字、簡単な計算問題の計算ミス、文章読み飛ばし
怪我する、ぶつける、人の話にすぐ入る、詰めが甘い……
"うっかりさん"に共通しているであろう、これらの行動の特徴。
ADHD(注意欠如多動性障害)のうちの注意欠如エピソードとして挙がりがち。多分。
もはや(最後の方なんか特に)自分以外がどうなのかよくわからないが……(自分は上記は全てが頻回にある)。
昔からよく母親に「注意力散漫」と言われてきた。母親にはあまり自覚はないようだが。
もちろん、ヒトケタ歳のときは意味はよくわかっていなかった。
はじめて「あ、これはまずい」とオンタイムで思ったのは、小学1年生の夏休み明け。
1学期は、帰宅したらランドセルを開ける、連絡帳を出す、ランドセルの蓋の裏の時間割を確認して教科書類を入れ替える、というのをやっていた。
おそらく母親に毎日言われて素直に従っていただけだと思う。
それが、夏休み明けから、教科書類や宿題の忘れ物をするようになった。
帰宅後ランドセルを置いたらすぐ遊びに出かけるようになったのだと思う。
「明日の準備をしてから遊びに行きなさい」と言われた記憶がある。
そして、素直に従わず、やらなかったり、やっても中途半端だったり、確認をよくしないで準備をしたりしていたのだろう。
遊びに行く前にやらないなら、遊びから帰ってきたらやればいい話、
とは、ならなかった。
人には多少の愚行権は許されると思うし、誰しも少なからず怠惰性を有していると思う。
しかし、生きていくなかで様々な経験をし、社会性を獲得し、優先順位をつけ、己を律することで、怠惰や愚行を抑えて"やるべきこと"をやるようになる
んだと思う。
「様々な経験」というのは、成功・失敗といった結果を伴ったり、
快・不快、好き・嫌い、恥ずかしい、羨ましい、不安、といった感情が乗ったりする。
単純な話、ポジティブな経験はまたしたい。ネガティブな経験は繰り返したくない。
褒められたい。怒られたくない。
教科書を手元に置いて書き込んだり読み込んだりしたい。隣の席のおともだちに見せてもらうのは申し訳ないし恥ずかしい。
宿題はきちんと取り組んで理解したいし提出して成果を認めてもらいたい。やり忘れて授業の進行から置いていかれたくないし持参忘れで提出できず先生に怒られたくないし「忘れたので明日持ってきます」と教室の最前でクラスメイト全員に見られながら先生に報告したくない。
嫌な気持ちになりたくないから、もう、忘れ物をしないぞ!
それはつまり、社会において
罪を犯すと罰せられる。罰せられたくない、罰さられていやだった、だから罪は犯さない!
と同じ構図。(拡大しすぎ?)
小学1年生の夏休み明け、忘れ物をしてもいい気分ではない、忘れ物したくない、と思った。
それからずっと、幾度となく、飽きるほど、
忘れ物をするのは良くないこと、困ること、いやなこと、と思った。思っていた。思い続けてきた、
のに。
何度も思い、思い続けて、中学生になった。
中学生になっても、変わらなかった。忘れ物をし続けていた。
思うだけでは変わらなかった。
「忘れ物をした、恥ずかしい」「怒られる、もういやだ」「なんでいつも失敗ばかり」「私はみんなよりだめだ」という負の感情は蓄積された。
負の感情を抱く度、なんとかしないとと思うが、次の日忘れ物をしている。
今なら、少しわかるかもしれない。
(今でも忘れ物は多いが……)
母親に「帰ったらまず明日の準備」と言われても改善しない、この事態への対応方法。
負の感情ばかり蓄積してしまう日々との、付き合い方。
つづく
はず
健康飲酒ダイエットの記録
スクリーンネームに"毎日健康飲酒ダイエット"を追加して久しい。
飲酒はすなわち健康だし、つまり飲酒ダイエットも有り得るのだ。
はて。
し得るのだ。
年始体重を基準とした、体重の推移。
最近は上り調子じゃんって?まあ、そう。
体脂肪率は計測開始点を基準とした。
もちろん、多少ブレはあるのでそこはご容赦いただきたく。
とはいえ、8-9月のマイナス数値。
これには、ちゃんと理由がある。
なお、当方夏バテとは無縁の10年超を過ごしている。
実は、(知ってる人もいると思うけど)
毎日健康"服薬"飲酒ダイエットの賜物。
そう。
服薬の副作用として、食欲不振が強く、がしがし痩せた、の図。
10年以上、自分のおっちょこちょいというか鳥頭というか、に悩まされていた。
そこに対して、化学的アプローチを施したのが今年。
ADHDなのはもうずっと確信していたが、通院し、診断名を得た。そう。
私はADHDである。
そして、処方され、服薬した。
その結果が、そのグラフ。完全に副作用にやられて痩せた。欠かさず飲む酒で副作用にブーストをかけたかもしれないが。
(インチュニブ、ストラテラ(調剤はアトモキセチン)、コンサータと全部処方され服薬したうちのストラテラ服用がそのタームに合致する)
この痩せ感は自己肯定感を高めたので、この薬にもどりたい。
本記事はびあさばアドベントカレンダーの2ndに捧げる。
"私"とは何か
趣味や好きなものとはまた違う、"自分"の記録。
始まります。
自分そのものの記録とする予定。